武藤「暴露話をなんか(笑)」 武藤「それで俺も酔ってるからね、後出しジャンケンばっかりすんの(笑)俺だけ一方的に殴られんの(笑)」, ――ケロ「聞いた聞いた(笑)それで高田選手が見かねて、日明兄さんを羽交い締めにして『武藤、殴れ』って」 武藤「いいアイデアですね~(笑)」 前田「それ勝手に使ったの?」 Copyright ©  バトル・ニュース All rights reserved. 武藤「最初出てたよぉ~(笑)」, ――ケロ「俺たち無いよ?!ムトちゃんもらってたの?」 前田「いくら使ったの?いくら使ったの?(笑)」 前田「言わされんの?」

前田「高山に前向きな話。何ヶ月か前の文藝春秋読んだら、骨盤から骨髄液を取ってナントカ細胞を培養して、打ったら脊髄損傷と神経損傷が、受傷が早ければ早いほど治りが早くなるって。高山は時間経ってるから何回もやらなきゃいけないけど、やったらいいし、治療費も相当高いから。まあ時間はかかるんだけど、治る見込みがあるんだったら今のうちに高山にやって欲しいことがある。今のうちに。選挙に出て!れいわ新選組から選挙に出て国会議員になる!」 前田「動けたらアカンねん。動けないほうがいいねんこうやって(寝たきりのジェスチャー)。高山は喋りがまずいフリして、俺が代わりにね、代表質問をする。俺がね、麻生大臣に『なんであなたの名前は英語で発音するとケツの穴になるんですか』って(笑)」      東京都千代田区外神田2-1-2東進ビル102 武藤「俺まだ1万円貸したの返してもらってない。俺、金利34、5年分の金利だからね。多分100万円とか200万円とかになってますよ」 武藤「クソガキなんて言うからですよぉ」 前田「それで色んな人が『どうだった?どうだった?』って聞いたら、相米慎二って監督がメチャメチャ性格悪くて、武藤とか出演者全員怒鳴り散らされるんだって。それで武藤もブチ切れてて、『ああ、出なくてよかった』って(笑)」, ――ケロ「そんなにひどかったの?監督」 山崎「前回140kgになって『痩せる』って言ってたじゃないですか(笑)」, ――ケロ「140ですか?!」 前田「もらってないよ」 前田「でも俺は俺で覚えてるよ。分かんないけど、あのあとに藤原さん(藤原喜明)に『飲み直そう』って連れてかれて、訳わかんなかったけど、それは覚えてるよ」 武藤「それサイズあったんですか?」 前田「『お前がやれ!』って言う(笑)『お前がやって見せろ!』って(笑)」 武藤「酷かったですよ。大変だったもう。ああいう映画って寝る時間も惜しんでやったりするじゃないですか。大変だったですよ」, ――ケロ「映画自体も大変だったもんね。一週間で打ち切りになってね。すぐ映画館から消えたじゃん。客入んないから」 武藤「でもスッポンポンになったの覚えてます?」 前田「聞こえるよね?」, ――ケロ「武藤選手が新日本プロレスに入ってきたとき前田選手はいたんですか?」 武藤「俺使ってないもん。橋本が持ってたんですよ、猪木さんのカード」 武藤「それでもう映画は終わりだよ(笑)一応アレ、4億何千万かかけて、それで終わっちゃうよ」, ――ケロ「あれはギャラは良かったんですけ?」 前田「スッポンポンなってないよ」, ――ケロ「あれはムトちゃんと高田選手がスッポンポンになったんじゃないの?」 武藤「俺、まだデビューする前の若い頃、猪木さんがふらっと道場に練習しに来たんですよ。1人で来たんですよ。それで、まだデビューしてないのに『武藤、悪いけどちょっと金無いからタクシー代貸してくれ』って(笑)俺1万円貸した。そのときの1万円って俺からしたらすごい貴重な1万円」 前田「あっ、洗濯代はもらってないよ。もらってないもらってない」 前田「あの頃はね、一番猪木さんが金持ってない時期ですよ。例のアントンハイセルの借金が60億くらいに膨らんでて(笑)毎月の利子があの頃バブルのときって金とるからさ8%、10%当たり前だった。60億の8%、10%っていくらよ?(笑)」, ――ケロ「えっ、これ生放送で喋っていいの……?」 前田「ジャンケンして、勝ったほうが殴ろうって。俺は言ったんだ、武藤に『何発か殴れ』って」 山崎「これは前田さんが何言ってるかの解説に呼んだんでしょう?(笑)前田さん、また太ったでしょう」 武藤「俺、当時プエルトリコっていう国で試合してて、橋本と蝶野が来て、橋本がカード持ってて、向こうのプエルトリコの幹部の人達をみんな招いて『奢りだ!』なんつったりして(笑)猪木さんのカードで支払いしてましたよ」, ――ケロ「だから会長のお金がなくなっちゃうんですよ」 武藤「ジャンケンしてね」 前田「タッグだったね。IWGPタッグだっけ?やったよね」, ――ケロ「越中さん(越中詩郎)と組んでて、木戸さん(木戸修)とやってたとき?」 前田「猪木さんで今でも覚えてるのがね、コンタクトレンズ、ソフトレンズが出たときにね『何やってんですか』って聞いたら『これ、コンタクトレンズ』って。『そんなおっきいお椀みたいなやつ入れるんですか』って言ったら『これソフトレンズっていうねん』って(笑)」 26日、東京都・後楽園ホールにて『takayamania empire 2』が行われ、前田日明と武藤敬司が衝撃的な内容のトークバトルを繰り広げた。 武藤「先輩から可愛がられてなかったから(笑)だいたい先輩が小遣い、洗濯代ってくれますよ」 前田「オイ、オイ、お前それ見てこう(武藤の指)だったってのは記憶違いだぞ。俺はこうやがな(股間から巨大な塔がそびえるようなジェスチャー)」, ――ケロ「これ生放送いいの?(笑)でもなんで殴り合ったの?」
武藤「言わされるんす。『アイツに言ってこい!』とかって。そんで『俺の嫁になってくれねえかや』『俺の嫁になってくれねえかや』って」

武藤「でも俺酔っ払ってるから事実分かってないのよ」 武藤「昔はコインランドリーなんて無かったっすからね。それこそ旅館のボイラー室とかで乾かしてたからね」, ――ケロ「大広間で寝て、ロープ張って干して、乾かないんだよね~」 武藤「そうそうそうそう。セリフがおかしいって」, ――ケロ「そんなん言わされたら日明兄さんどうします?」 武藤「前田さんと刀の話したら20分すぐ終わるよ(笑)」, ――ケロ「刀の話はやめよう?!ここで刀の話はやめよう!二人は面白いかもしれないけど面白くないから!でも何度も対談やってるんですよね?」 Copyright © 芸能人の嫁まとめ情報 All Rights Reserved.
前田「武藤お前、俺達がイギリスから帰ってきて1試合1万5千円にするかどうかで、坂口征二と山本小鉄と揉めたけどな。1万5千円で死ぬかどうかで揉めたんだよ」 オカダカズチカの結婚した嫁とは?年収が驚愕の? オカダカズチカのプロレスとの出会いや小学生時代の秘話とは? オカダカズチカさんはプロレスラーとして 活躍をしている方です。 1987年11月8日生まれ … 前田「あの頃はたしかに全然気を使って無かったんで、多分(滑舌が)悪かったと思います」 前田「俺のFacebookでつながってるアメリカのプロレスオタクがいて、俺を称えるビデオとか言って編集したの送ってきたんだけど、蹴り倒してるシーンばっかりですよ(笑)『いやー、つくづくコイツとんでもねーやつだな』って驚いた。『よくこんな蹴ったな』って」 武藤「覚えてない……」 武藤「……俺、こんなの頂きたくなかったですよ」 武藤「シングルはやってないです」 そんなこんなでお2人は1992年にめでたくゴールイン!ご結婚されました。, そしてそんなお2人には息子と娘さんがおられるようなんですが……最近その娘さんのほうがテレビやネットで話題のようなんですよね。, いやー……武藤敬司さんのイメージを思うと思わず「嘘でしょ!?」と言いたくなるくらい可愛いですよね(笑), どうやら愛莉さんは芸能界で活動されたりもしておられるようなので、一般人ではないご様子。, 芸能人として活動しているのであれば通信制高校だったり、堀越学園のような芸能コースがある学校に通っているのでは。, 6歳の時に子役でテレビデビュー。小学生の時にはユニットを組んで歌手活動もされていたそうです。, そこまで本格的に芸能活動をされておられるのだったら確かに芸能活動が可能な学校に通っていると考えるのが普通ですよね。, 同じ武藤と言う名前の武藤十夢(むとう とむ)さんという方がAKBメンバーにいます。, あらー……なるほど。娘さんが芸能人という話が先行して、しかも武藤という名前の女の子がいたら確かに勘違いしちゃうかも。, 武藤さんの身体は、既に長年のレスラー生活によって満身創痍。左ひざを一回、右ひざに至ってはすでに4回も手術したそうです。, あー……やっぱりそうですよね。レスラーの人の身体の酷使っぷりは数ある職業の中でもトップクラスですしね……。, ひざを故障した直接の原因は若手時代から得意技としてきたムーンサルトプレス(コーナーポスト最上段から後ろ向きに宙返りをする技)を多用したため。, かなり高い位置からマットに落ちるので全体重がひざにかかるわけですよね。そりゃ壊れるって……。, ですが売れるためには見栄えが良くてド派手な技を使い続ける必要があったのかもしれません。, なんでも手術後の経過が順調に進んでいたので、嬉しくなってスクワットしたらひざの皿にヒビが入ってしまったのだとか……。, そんな武藤敬司さんですが、無茶をしていたという若い頃の顔はどんなだったんでしょうか。, あんな可愛い奥さんを捕まえられるくらいだから、やはりなかなかイケメンだった気がしますよね!, これは武藤敬司さん扮するグレートムタ時代。 武藤「前田さんのね、暴露話ね、山崎さん(山崎一夫)さんがよく知ってんだよ。いっぱい知ってるよぉ~?(笑)」, 前田「なんかピーナッツみたいなおっさんが出てきたな(笑)」 武藤「えっ……小沢一郎にクソガキって言ったんですか……」

専門誌はその現象を「木戸の異常人気」として伝え、後に木戸は「札幌男」と呼ばれるようになり、札幌ドームのこけら落としでの大会では全選手代表としてオープニングの挨拶まで行なった。, 木戸の存在が改めてクローズアップされたのが、1990年2月10日、東京ドームでの全日本プロレスとの対抗戦で木村健悟と組み、ジャンボ鶴田・谷津嘉章組と闘い、鶴田を相手に渡り合った試合であり、1992年から始まった天龍源一郎率いるWARとの対抗戦においてである。天龍のパワー、打たれ強さに多くの実力者がシングルマッチで敗れるなど苦戦する中で、関節技を主体とする木戸の存在が切り札としてクローズアップされる。 武藤「今日滑舌大丈夫ですか?(観衆へ)」 武藤「『プロレスの砦』って番組できてもらって。どういうわけか、あの番組収録した後、テロップが流れてたんですよ」 (二人はしっかりと握手), 【試合詳細】8・26 TAKAYAMANIA後楽園ホール大会 鈴木みのる&鈴木秀樹vs丸藤正道&田中将人 永田裕志&大谷晋二郎&辻陽太vs小島聡&高岩竜一&北村彰基 前田日明vs武藤敬司 大仁田厚&樋口和貞&大家健vs 藤田和之&NOSAWA論外&FUJITA, 里歩離脱後の新生・我闘雲舞で中学3年生の現役アイドルや史上最年長の44歳の新人を含む6人がデビュー!, 【運 営】株式会社コラボ総研 新日本の札幌大会では会場中に応援ののぼりが立ち、札幌の後援者から贈られたハッピを着た木戸が登場すると大歓声が沸きあがった。木戸もその後押しに答え、佐々木健介をキド・クラッチで下した実績がある。 経歴. そしてWAR勢との5対5のタッグマッチに出場した木戸は脇固めやアキレス腱固めといった関節技で相手を苦しめ、天龍の右腕を破壊。試合終了までほぼ行動不能に追い込む活躍を見せ、新日本勢の勝利に大きく貢献した。, 2001年11月2日、横浜文化体育館で引退記念興行が行われ、長州力とタッグを組み、藤波辰爾・木村健悟組と対戦。一旦現役を引退した。この興行には、関東各地の後援者のほか遠く札幌からも応援隊が駆けつけ、試合後の引退セレモニーではカール・ゴッチからのメッセージが代読されるなどした。姉や愛娘2人がリングで花束を渡すセレモニーも続き、控室での本人のインタビューでは盛んに「家族」という言葉が発せられ、家族思いの優しい人柄が改めて確認できるものであった。, 2005年9月11日にビッグマウス所属選手としてビッグマウス・ラウドで復帰。2007年11月、ハッスルのハッスル軍コーチを務め、どハッスル! 武藤「いなかったですね。高田さん(高田延彦)はいたんですけど」 前田「で、その頃初めて選挙出たでしょ。1回目落ちて2回目受かった?」, ――ケロ「1回目通って2回目落ちました」 前田「俺、でもお前、GUCCIのブーツもらったよ、猪木さんから」 武藤「えぇっ?!俺旅館でスッポンポンで前田さんのアレ(親指と人差し指でナニかを表現しながら)見たもん!」 武藤「またタイプが違う(笑)」 前田「考えてないです」 前田「俺は武藤を一番最初によく覚えてるのは、猪木さんが例の心理セミナーに『お前ら行って来い』って言って、そんでね、俺と武藤と橋本(故・橋本真也さん)、蝶野(蝶野正洋)に話したから『お前らメキシコ一緒に4人で行って来い』って。3泊だか一週間だか忘れたけど。それ言ったときに、俺いたやん?武藤もいたやん?蝶野もいたやん?新日本の道場の横が広かったからタクシー呼んで、『俺イチ抜けるわ』って言ったら、武藤も『前田さん行かないんですか?じゃあ俺も行きません』って言って、結局誰も行かなかった(笑)」, ――ケロ「猪木さんに心理セミナーいけって言われたのは覚えてる?」 前田「俺が入ってすぐ、佐山さん(佐山サトル)が格闘技大戦争出たんだよ。それで抜けたから欠員が出て『お前やれ』っつって、右も左も分からんと、なんか知らんけど付き人やらされた」, ――ケロ「猪木会長の後ろで付いてますよ、昔のDVDとか見ると。日明兄さんがボーッと立ってますから」 武藤「いや、あの……狙われてる気がしてましたよ……。ただ、ちょっと今のプロレス界と違って、もう少し先走りましたね」