日本の医師の働き方の歴史

医師としての働き方の方針を考える前に、日本においては医師が以前はどんな働き方をしていたのかを知っておくのもいいかもしれません。

新臨床研修制度が始まるまで医師というのは、ほぼ全てがどこかの医局に属していました。そのため、大学病院の各科の教授と医局が、医師の人事を握っていたと言ってもいい状態でした。

医局と聞くと、テレビドラマで見るような院長回診の様なイメージが世間一般では強いのではないでしょうか。

かつての医局は、教授という一有力者に准教授以下の全ての医師が従うという、会社でいうならワンマン経営に近い構図のものが通常でした。大学病院という「本部」があり、世の中の市中病院のほぼ全ての診療科は、それぞれどこかの大学病院の各診療科から医師が派遣された大学医局の「支部」のような状態で、この支部を「関連病院」などと呼んでいます。

人事権はあくまで大学にあり、派遣先の病院長といえども大学医局には逆らえないことが多く、逆らえば医師を大学医局に引き上げられて、運営ができなくなるような力関係が存在していたのが実情だったという話もよく耳にします。

 

こういった状況は、医師の転職にも多大な影響を与えていました。

昔は世の中ほぼ全ての病院が大学医局に人事を依存する関係にあり、人事権が医局にあるのですから、大学医局から斡旋されない限り、個々の医師は病院への就職自体がなかなか難しかったのです。

医局を介さずに就職先を探すとなると、医局と無関係に存在する個人経営の小さな医院民医連やグループ経営をしている病院などの限られた選択肢しか残らない状態でした

かつての医局制度下では、ある程度の規模の大きな大きな病院は全て医局の支配下にあり、良い経験を積める病院で働くには、医局に入らざるを得なかった窮屈な過去があったのです。

 

現在でも、こういった状況が色濃く残る医局が無いわけではありません。

ですが段々と変化を遂げている医局があったり、医局に頼らずに仕事をする医師が増えたりしているのも事実なのです。

 

 

 

 

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